Photo copyrights 2016 Katsuhiko Kurushima & Shodoshima foods corporation
小豆島アルバムの初版公開のお知らせ
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6,852島で成り立つ日本は、海に囲まれたアジア大陸の離島ですが、
小豆島は、さらにその中の瀬戸内海の海に囲まれた
わずか153k㎡、人口30,000人足らずの諸島国家の中の離島です。
でも、
なぜ、東のキッコーマン醤油に匹敵する西の丸金醤油の創業地が小豆島なのでしょうか?
なぜ、日本の4大手延べそうめん産地の一つに小豆島手延べ素麺があるのでしょうか?
なぜ、小豆島が本場ヨーロッパをしのぐ、東洋屈指のオリーブの産地になったのでしょうか?
なぜ、日本No1シェアーを誇るごま油「カドヤ製油」の創業地と工場が小豆島なのでしょうか?
大阪城の城壁は小豆島から採掘された石でできています。膨大な数と重い石をどのように運んだのでしょうか?
瀬戸内海が1934年に日本初の国立公園に指定され、ピーク時には年間120万人の観光旅行をお迎えしてきた小豆島。
多くの皆様とご一緒に「日本の将来は小豆島の謎解きがヒントに!」を合言葉に第1版を公開しております。
未来の小豆島と417の有人島に向かって。
小豆島食品株式会社 小豆島アルバムプロジェクトチーム一同
内海町役場:昭和28年(1953年)ごろ
(現、小豆島町役場)
コリーの女の子:昭和40年(1965年)ごろ
内海町片城(現、小豆島町片城)
内海臨海工業地帯:昭和22年(1947年)竣工
(旧,安田村廃止塩田地帯)
内海ダム:昭和5年ごろ(1930年)ごろ
(旧、三五郎池)
山の上の2馬:昭和40年(1965年)ごろ
(寒霞渓山頂)
第7代坂手村村長
(明治44年5月就任)
丸金本社・工場:昭和24年(1949年)ごろ
(内海湾全景)
苗羽村:大正13年(1924年)ごろ
(現、小豆島町)
内海電話局:昭和28年(1953年)ごろ
(現、小豆島町電話局)
昭和天皇2回目の御来島
昭和25年(1950年)3月
丸金醤油本社・工場視察
内海中学校:昭和25年(1950年)10月落成
(現、安田小学校)
内海病院:昭和28年(1953年)ごろ
(現、小豆島総合病院)
坂手 地蔵堂 墓誌
(撮影2016年7月)
【出典・提供】敬称略
■小豆郡誌:大正10年3月25日発行(非売品)
香川縣小豆郡役所藏版
■佐伯興之吉伝:昭和42年4月3日発行(非売品)
佐伯建設工業㈱・㈶佐伯報恩会
提供:木村弘子、久留島昌吾ほか
【楽曲】
アルバム「Day Break」
アーティスト「堀尾和孝」
(C)&(P) MIRAIZU MUSIC/Earth Music Network,.Inc.
Executive producer:Katsuhiko Kurushima / Shodo island, Kagawa Japan
Powered by gConscious, Inc. / Earth Music Network, Inc. / Earth Music License, Inc.
Project producer:Shougo Kurushima / Earth Music Group, Tokyo Japan
From Shodoshima to the world
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【撮影・著作】“祈り” 久留島 克彦/Katsuhiko Kurushima
at Shodo island, Kagawa pre, JAPAN
【楽曲提供】アルバム「~The Power of Words~/言霊」
作品「神人の栄光/Glory between Kami and Man」
アーティスト:三宅善信/SHINTO PRIEST REV.YOSHINOBU MIYAKE
(C)&(P) mother earth/Earth Music Network,.Inc.